70周年記念誌
19/107

自分が変わると、世界ががらりと変わる。017-Memory同級生との時間ライバルでもあるけれど、家族よりも長い時間を共にに過ごした仲間とは、今でも連絡を取り合って島﨑先生と食事に行くことも。-Spotエミリー・ブラウン記念館スタジオ学内のスタジオが私の「ホーム」でした。踊る、着替える、授業後にまた踊る…。まるで部室!のです。契約を断念したアメリカのダンスカンパニーの関係者や聴講生として出演した東京の舞台で声をかけてくれた方が偶然にもNDTにいたことが、私の支えになりました。人とのつながりが、世界を開く。そして人生が豊かになる。まさに島﨑先生の教えの通りになり、鳥肌が立つような思いでした。どれだけ、足が上がるか。何回、回転できるか。型通りに体を動かして“いかに上手に踊るか”を考えてきた私は、コンテンポラリーダンスに出会って、“いかに人を感動させるか”を自分なりに心の中でイメージして踊るようになりました。表現者としての視点が女学院で一変し、世界の見え方も変わったのです。表現や技術の奥深さ、世界の広さ。多くの「まだ、知らない」を知ることは楽しみでもあり、ダンサーとしては苦しさもあります。でも、私は苦しさを乗り越えたときこそいい景色が広がっていることを知っている。一度きりの人生、いろいろな景色を見るために戦い続けたいですね。あの頃の私へいつでも踊れるスタジオ、いつでも質問に答えてくれる先生。社会に出て、女学院での日常がどれだけ恵まれたものだったかを痛感しました。その貴重な時間を1秒も無駄にせずに吸収し尽くし、世界を目指してほしい。運やタイミングに恵まれた一部の人間だけがプロになれるのではなく、努力を続けた人間にこそ運やタイミングが訪れるのだから。  

元のページ  ../index.html#19

このブックを見る